小倉百人一首

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名稱表記
中文 漢字
注音 ㄒㄧㄠˇ ㄘㄤ ㄅㄞˇ ㄖㄣˊ ㄕㄡˇ
拼音 xiǎo cāng bǎi rén shǒu
日文 假名 おぐら ひゃく にん いっしゅ
羅馬字 ogura hyaku nin isshu
韓文 諺文 오구라
羅馬字 ogura baek in il su
英文 Ogura Hyakunin Isshu

小倉百人一首是日本鎌倉時代歌人藤原定家私撰的和歌集。藤原定家挑選了直至《新古今和歌集》時期100位歌人的各一首作品,彙編成集,因而得名。約編纂於日本文曆二年五月廿七日(儒略曆1235年6月14日)。

內容

葛城 (あき)()の (かり)()(いほ)の (とま)(あら)み ()衣手(ころもで)は (つゆ)()れつつ
鸕野讚良 (はる)()ぎて (なつ)()にけらし (しろ)(たへ)の (ころも)()()ふ (あま)香具(かぐ)(やま)
柿本人麿 (あし)(びき)の (やま)(どり)()の (しだ)()の (なが)(なが)()[1] (ひと)()かも()
山部赤人 ()()(うら)[2] ()()でて()れば ()(しろ)にそ ()()(たか)()に (ゆき)()りける
猿丸大夫 (おく)(やま)に 紅葉(もみぢ)()()け (なく)鹿(しか)の (こゑ)()(とき)ぞ (あき)(かな)しき
大伴家持 (かささぎ)の (わた)せる(はし)に (おく)(しも)の (しろ)きを()れば ()()けにける
阿倍仲麿 (あま)(はら) ()()()れば 春日(かすが)なる ()(かさ)(やま)に ()でし(つき)かも
喜撰 ()(いほ)は (みやこ)(たつ)() (しか)()む ()()()(やま)と (ひと)()(なり)
小野小町 (はな)(いろ)は (うつ)りにけりな (いたづら)に ()()()()る (なが)()せし()
蟬丸 (これ)()の ()くも(かへ)るも (わか)れては ()るも()らぬも (あふ)(さか)(せき)
十一 小野篁 (わた)(はら) ()()(しま)()けて ()()でぬと (ひと)には()げよ (あま)()(ぶね)
十二 遍昭 (あま)()(かぜ) (くも)(かよ)() ()()ぢよ (をと)()姿(すがた) (しばし)(とど)めむ
十三 貞明 (つく)()()の (みね)より()つる ()(なの)(かは) (こひ)(つもり)て (ふち)()りぬる
十四 源融 (みち)(のく)の (しの)()(もぢ)(ずり) (たれ)(ゆゑ)に (みだれ)()めにし (われ)なら()くに
十五 時康 (きみ)(ため) (はる)()()でて (わか)()()む ()(ころも)()に (ゆき)()りつつ
十六 在原行平 ()(わか)れ (いな)()(やま)の (みね)()ふる (まつ)とし()かば (いま)(かへ)()
十七 在原業平 ()(はや)()る (かみ)()()かず (たつ)()(がは) (から)(くれなゐ)に (みづ)(くく)るとは
十八 藤原敏行 (すみ)()の (きし)()(なみ) (よる)さへや (ゆめ)(かよ)() (ひと)()()くらむ
十九 伊勢 (なに)()(がた) (みじ)かき(あし)の (ふし)()も ()はで(この)()を ()ぐしてよとや
二十 元良 (わび)ぬれば (いま)(はた)(おな)じ (なに)()なる ()()くしても ()はむとぞ(おも)
二十一 素性 (いま)()むと ()ひし(ばかり)に (なが)(つき)の (あり)(あけ)(つき)を (まち)(いで)つる(かな)
二十二 文屋康秀 ()くからに (あき)(くさ)()の (しを)るれば (むべ)(やま)(かぜ)を (あらし)()ふらむ
二十三 大江千里 (つき)()れば ()()(もの)こそ (かな)しけれ (わが)()(ひと)つの (あき)には()らねど
二十四 菅原道真 (この)(たび)は (ぬさ)(とり)()へず ()(むけ)(やま) 紅葉(もみぢ)(にしき) (かみ)(まにま)
二十五 藤原定方 ()にし()はば (あふ)(さか)(やま)の (さね)(かづら) (ひと)()られで (くる)(よし)もがな
二十六 藤原忠平 ()(ぐら)(やま) (みね)紅葉(もみぢ)() (こころ)()らば (いま)(ひと)(たび)の ()(ゆき)()たなむ
二十七 藤原兼輔 (みか)(はら) ()きて(なが)るる (いづみ)(がは) 何時(いつ)()きとてか (こひ)しかるらむ
二十八 源宗于 (やま)(さと)は (ふゆ)(さび)しさ ()さりける (ひと)()(くさ)も ()れぬと(おも)へば
二十九 凡河内躬恒 (こころ)()てに ()らばや()らむ (はつ)(しも)の ()(まど)はせる (しら)(ぎく)(はな)
三十 壬生忠岑 (あり)(あけ)の ()()()()えし (わかれ)より (あかつき)(ばか)り ()(もの)()
三十一 坂上是則 (あさ)ぼらけ (あり)(あけ)(つき)と ()(まで)に 吉野(よしの)(さと)に ()れる(しら)(ゆき)
三十二 春道列樹 (やま)(がは)に (かぜ)()けたる (しがらみ)は (なが)れも()へぬ 紅葉(もみぢ)なりけり
三十三 紀友則 (ひさ)(かた)の (ひかり)長閑(のど)けき (はる)()に (しづ)(こころ)()く (はな)()るらむ
三十四 藤原興風 (たれ)をかも ()(ひと)()む 高砂(たかさご)の (まつ)(むかし)の (とも)なら()くに
三十五 紀貫之 (ひと)はいさ (こころ)()らず (ふる)(さと)は (はな)(むかし)の ()(にほ)ひける
三十六 清原深養父 (なつ)()は ()(よひ)ながら ()けぬるを (くも)何處(いづこ)に (つき)宿(やど)るらむ
三十七 文屋朝康 (しら)(つゆ)に (かぜ)()きしく (あき)()は (つらぬ)()めぬ (たま)(ちり)ける
三十八 右近 (わす)らるる ()をば(おも)はず (ちか)ひてし (ひと)(いのち)の ()しくも(ある)(かな)
三十九 源等 (あさ)()()の ()()(しの)(はら) (しの)ぶれど (あま)りて()どか (ひと)(こひ)しき
四十 平兼盛 (しの)ぶれど (いろ)()でにけり ()(こひ)は (もの)(おも)ふと (いと)()(まで)
四十一 壬生忠見 (こひ)()ふ ()()(まだき) ()ちにけり (ひと)()れずこそ (おも)()めしか
四十二 清原元輔 (ちぎり)きな (かたみ)(そで)を (しぼ)りつつ (すゑ)(まつ)(やま) (なみ)()さじとは
四十三 藤原敦忠 (あひ)()ての (のち)(こころ)に (くら)ぶれば (むかし)(もの)を (おも)はざりけり
四十四 藤原朝忠 ()(こと)の ()えてし()くば (なか)(なか)に (ひと)をも()をも (うら)みざらまし
四十五 藤原伊尹 (あはれ)とも ()ふべき(ひと)は (おも)ほえで ()(いたづら)に (なり)ぬべき(かな)
四十六 曾禰好忠 ()()()を (わた)(ふな)(びと) (かぢ)()え 行方(ゆくへ)()らぬ (こひ)(みち)(かな)
四十七 惠慶 ()()(むぐら) (しげ)れる宿(やど)の (さび)しきに (ひと)こそ()えね (あき)()にけり
四十八 源重之 (かぜ)(いた)み (いは)(うつ)(なみ)の (おのれ)のみ (くだ)けて(もの)を (おも)(ころ)(かな)
四十九 大中臣能宣 ()(かき)(もり) ()()(たく)()の (よる)()え (ひる)()えつつ (もの)をこそ(おも)
五十 藤原義孝 (きみ)(ため) ()しからざりし (いのち)さへ (なが)くもがなと (おもひ)ける(かな)
五十一 藤原實方 ()くとだに えやは()(ぶき)の (さしも)(ぐさ) さしも()らじな ()ゆる(おも)()
五十二 藤原道信 ()けぬれば ()るる(もの)とは ()りながら (なほ)(うら)めしき (あさ)ぼらけ(かな)
五十三 藤原道綱母 (なげ)きつつ (ひと)()()()の (あく)()は 如何(いか)(ひさ)しき (もの)とかは()
五十四 高階貴子 (わす)れじの (ゆく)(すえ)(まで)は (かた)ければ 今日(けふ)(かぎり)の (いのち)ともがな
五十五 藤原公任 (たき)(おと)は ()えて(ひさ)しく (なり)ぬれど ()こそ(なが)れて (なほ)(きこ)えけれ
五十六 和泉式部 ()らざらむ (この)()(ほか)の (おも)()に (いま)(ひと)(たび)の (あふ)(こと)もがな
五十七 紫式部 (めぐ)()ひて ()しや(それ)とも (わか)()に (くも)(くれ)にし ()()(つき)(かな)
五十八 藤原賢子 (あり)()(やま) 豬名(ゐな)(ささ)(はら) (かぜ)()けば いで()(ひと)を (わす)れやはする
五十九 赤染衛門 (やす)らはで ()(まし)(もの)を ()()()けて (かたぶ)(まで)の (つき)()(かな)
六十 小式部內侍 (おほ)()(やま) (いく)()(みち)の (とほ)ければ ()()みも()ず (あま)(はし)(だて)
六十一 伊勢大輔 (いにしへ)の ()()(みやこ)の ()()(さくら) ()()(ここの)()に (にほ)ひぬる(かな)
六十二 清少納言 ()()めて (とり)(そら)()は (はか)るとも ()(あふ)(さか)の (せき)(ゆる)さじ
六十三 藤原道雅 (いま)(ただ) (おも)()えなむ とばかりを (ひと)()()らで (いふ)(よし)もがな
六十四 藤原定頼 (あさ)ぼらけ ()()(かは)(ぎり) (たえ)(だえ)に (あらは)(わた)る ()()()(じろ)()
六十五 相模 (うら)(わび) ()さぬ(そで)だに (ある)(もの)を (こひ)()ちなむ ()こそ(をし)けれ
六十六 行尊 (もろ)(とも)に (あは)れと(おも)へ (やま)(ざくら) (はな)より(ほか)に ()(ひと)()
六十七 周防內侍 (はる)()の ()ゆめ(ばかり)なる ()(まくら)に ()()()()たむ ()こそ(をし)けれ
六十八 居貞 (こころ)にも ()らで()()に (なが)らへば (こひ)しかるべき 夜半(とは)(つき)(かな)
六十九 能因 (あらし)()く ()(むろ)(やま)の 紅葉(もみぢ)()は (たつ)()(かは)の (にしき)(なり)けり
七十 良暹 (さび)しさに 宿(やど)(たち)(いで)て (なが)むれば 何處(いづこ)(おな)じ (あき)(ゆふ)(ぐれ)
七十一 源經信 (ゆふ)()れば (かど)()(いな)() (おとづ)れて (あし)(まろ)()に (あき)(かぜ)()
七十二 一宮紀伊 (おと)()く (たか)()(はま)の (あだ)(なみ)は ()けじや(そで)の ()れもこそすれ
七十三 大江匡房 (たか)(さご)の ()()(さくら) ()きにけり ()(やま)(かすみ) ()たずも()らなむ
七十四 源俊頼 ()かりける (ひと)(はつ)()の (やま)(おろ)しよ (はげ)しかれとは (いの)らぬ(もの)
七十五 藤原基俊 (ちぎ)(りお)きし 蓬艾(させも)(つゆ)を (いのち)にて (あは)今年(ことし)の (あき)()ぬめり
七十六 藤原忠通 (わた)(はら) (こぎ)(いで)()れば (ひさ)(かた)の (くも)()(まが)ふ (おき)()(しら)(なみ)
七十七 顯仁 ()(はや)み (いは)()かるる (たき)(がは)の ()れても(すゑ)に ()はむとぞ(おも)
七十八 源兼昌 (あは)()(しま) (かよ)()(どり)の (なく)(こゑ)に (いく)()()()めぬ ()()(せき)(もり)
七十九 藤原顕輔 (あき)(かぜ)に (たな)()(くも)の (たえ)()より (もれ)(いづ)(つき)の (かげ)(さや)けさ
八十 待賢門院堀河 (なが)からむ (こころ)()らず (くろ)(かみ)の (みだれ)今朝(けさ)は (もの)をこそ(おも)
八十一 德大寺實定 郭公(ほととぎす) ()きつる(かた)を (なが)むれば (ただ)(あり)(あけ)の (つき)(のこ)れる
八十二 藤原敦頼 (おも)(ひわ)び ()ても(いのち)は (ある)(もの)を ()きに()へぬは (なみだ)(なり)けり
八十三 藤原俊成 ()(なか)よ (みち)こそ()けれ (おも)()る (やま)(おく)にも 鹿(しか)()くなる
八十四 藤原清輔 (なが)らへば (また)(この)(ころ)や (しの)ばれむ ()しと()()ぞ (いま)(こひ)しき
八十五 俊惠 ()(すがら) (もの)(おも)(ころ)は ()けやらで (ねや)(ひま)さへ ()()()かりけり
八十六 佐藤義清 (なげ)けとて (つき)やは(もの)を (おも)はする (かこち)(がほ)なる ()(なみだ)かな
八十七 藤原定長 (むら)(さめ)の (つゆ)()()ぬ 真木(まき)()に (きり)(たち)(のぼ)る (あき)(ゆふ)(ぐれ)
八十八 皇嘉門院別当 難波(なには)()の (あし)(かり)()の (ひと)()(ゆゑ) 澪標(みをつくし)てや (こひ)(わた)るべき
八十九 萱齋院 (たま)()よ ()えなば()えね (なが)らへば (しの)ぶる(こと)の (よわ)りもぞする
九十 殷富門院大輔 ()せばやな 雄島(をじま)海人(あま)の (そで)だにも ()れにぞ()れし (いろ)(かは)らず
九十一 九条良經 蟋蟀(きりぎりす) ()くや(しも)()の 狹蓆(さむしろ)に (ころも)(かた)()き (ひと)()かも()
九十二 二條院讚岐 ()(そで)は (しほ)()()えぬ (おき)(いし)の (ひと)こそ()らね (かわ)()()
九十三 源實朝 ()(なか)は (つね)にもがもな (なぎさ)()ぐ (あま)()(ぶね)の (つな)()(かな)しも
九十四 飛鳥井雅經 ()(よし)()の (やま)(あき)(かぜ) 小夜(さよ)()けて (ふる)(さと)(さむ)く (ころも)()(なり)
九十五 慈圓 おほけ()く (うき)()(たみ)に (おほ)(かな) ()(たつ)(そま)に (すみ)(ぞめ)(そで)
九十六 西園寺公經 (はな)(さそ)ふ (あらし)(には)の (ゆき)ならで (ふり)()(もの)は ()()(なり)けり
九十七 藤原定家 ()(ひと)を (まつ)()(うら)の (ゆふ)(なぎ)に ()くや()(しほ)の ()(こが)れつつ
九十八 藤原家隆 (かぜ)そよぐ (なら)()(がは)の 夕暮(ゆふぐ)れは (みそぎ)(なつ)の (しるし)(なり)ける
九十九 尊成 (ひと)()し (ひと)(うら)めし 味色(あぢき)()く ()(おも)(ゆえ)に (もの)(おも)()
一百 守成 (もも)(しき)や (ふる)(のき)()の (しの)ぶにも (なほ)(あま)()る (むかし)(なり)けり

翻譯

漢文譯本

  1. 小倉百首名歌譯詩》原景忠翻譯,寶曆壬午四月(1762年4月)完稿,明治十四年十一月(1881年11月)出版,文體爲七絕漢詩。
  2. 華和合珠百人一首》衡山人以德著作,安永三年正月(1774年1月)出版,文體爲七絕、五絕漢詩。
  3. 寄言百人一首》橘維嶽著作,安永三年(1774年)出版,文體爲五絕漢詩。
  4. 歌詩百人一首》小畑行簡編輯,弘化二年九月(1845年9月)原版,1847年出版,文體爲七絕漢詩。
  5. 新撰小倉百詩》片桐滿米著作,明治戊子十一月(1888年11月)完稿,明治廿八年十一月(1895年11月)出版,文體爲七絕漢詩。
  6. 詩文意譯百人一首》小宮水心著,明治四十一年六月(1908年6月)出版,文體爲五絕漢詩、英文意譯。
  7. 小倉百首詩》片山喜之助著作,昭和三年二月(1928年2月)完稿,1936年10月(昭和十一年七月)出版,文體爲七絕漢詩。
  8. 一人百首絕句集》吉成白鵝著作,甲戌歲(1934年)完稿,文體爲七絕、五絕漢詩。
  9. 小倉百首七絕》三宅光華著作,昭和十一年七月(1936年7月)出版,文體爲七絕漢詩。
  10. 漢譯小倉百首》佐伯仙之助著作,昭和庚寅(1950年)完稿,1955年9月(昭和三十年九月)出版,文體爲五絕漢詩。
  11. 《漢詩譯百人一首》小此木朱溪(小柴郁三)著作,昭和五十四年七月(1979年7月)出版,文體爲七絕漢詩。
  12. 《日本古詩一百首》檀可翻譯,1985年外國文學出版社出版。
  13. 《日本古典和歌百人一首》李濯凡翻譯,1994年2月首都師範大學出版社出版,文體爲「五七五七七」格式。
  14. 《百人一首》張蓉蓓翻譯,2005年4月致良出版社出版,文體爲「五七五七七」格式。
  15. 《小倉百人一首:日本古典和歌賞析》劉德潤翻譯,2007年6月外語教學與研究出版社出版,文體爲五絕漢詩,且有現代詩。
  16. 《百首經典和歌賞析:<小倉百人一首>新解》武德慶編寫,2008年8月武漢理工大學出版社出版,文體爲五絕漢詩。
  17. 《小倉百人一首漢詩翻譯全集》明智清涼翻譯,2008年12月4日發佈於網絡。
  18. 《小倉百人一首賞析》武萌、李晶主編,2009年6月大連理工大學出版社出版。
  19. 《日本古典和歌審美新視點:以<小倉百人一首>為例》收錄由潘小多翻譯的中文版本,2010年7月中國傳媒大學出版社出版,文體多爲五絕,亦有其他格式。
  20. 《日本和歌的翻譯學研究:<小倉百人一首>翻譯及賞析》王禹、王信、胡欣編著,2013年1月世界圖書出版公司北京公司出版,文體爲五絕漢詩。
  21. 《日本古典短歌精品100首》王亨良譯,2013年12月上海交通大學出版社出版。
  22. 《<小倉百人一首>漢譯及其賞析》崔艷偉編寫,2018年南京大學出版社出版。
  23. 百人一首麤譯》映蘆軒翻譯,在2023年4月5日至7月17日間發表於note上。除第三首外,文體爲五言絕句,

其他語言譯本

  1. 《英獨對譯小倉百首評釋》佐藤重資治編寫,1904年12月(明治三十七年十二月)出版,譯文爲英文意譯、德文意譯
  2. 《詩文意譯百人一首》小宮水心著,1908年6月(明治四十一年六月)出版,譯文爲漢文五絕、英文意譯。
  3. 《句句對譯百人一首》齋藤秀三郎著,1909年2月(明治四十二年二月)出版,譯文爲英文詩歌。

註釋

  1. 一作「(なが)(なが)()を」
  2. 藤原定家在《新古今和歌集》中改「田子の浦ゆ」爲「田子の浦に」,「真白にそ」爲「白妙の」,「降りける」爲「降りつつ」